2013年02月05日(火)

「『民はモーセにつぶやいて、私たちは何を飲んだらよいのですか』と言った」出エジプト15:24


イスラエルの民が、出エジプトの際に、神の偉大な奇跡を見た。紅海が目の前で、二つに分かれ、追っ手のエジプト軍から見事に救われた。主の全能の力を目の当たりに見て、驚くべき体験をした。ところが、この後どうだろう。彼らは荒野に入り、3日歩いた。だが、水が無かった。メラに着いたが、そこの水は苦くて飲めなかった。すると、民はモーセに向かいつぶやいた。私たちは、何を飲むのかと。

その時モーセは、つぶやいた民に対応するのでなく、主に向かって叫んだ。主に祈った時に、一本の木を示された。それを苦い水に投げ入れると、甘くなった。あの大奇跡を見て、まだたったの3日だ。そして、その間、主は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、彼らを照らし、昼も夜も彼らを導かれた。雲の柱と火の柱は、民の前から離れることが無かった。あの偉大な奇跡を経験して、尚も雲の柱と火の柱で導かれながら、少し不都合が生じた途端、不平不満、愚痴、つぶやきだ。不信仰なイスラエルの姿は、自らの姿だろうか。

主は、苦い水を甘い水に変えて下さったし、そのように計画しておられた。主のご愛を信じ、主に信頼しておれたなら、どんなに良かったろう。感謝の無い心、感謝を忘れること、つぶやきは、主のお心を非常に痛める。「感謝」は、すべての出来事に、主を認め、主のご計画を認める。感謝は、主をお喜ばせする。
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主の守りと恵みを山ほど経験していても、不都合なことにはすぐ肉が反応してしまう。つぶやきは主に告げ、ここに主がおられることを覚えたい。先取りの感謝へと変えて行きたい。