2013年03月09日(土) 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまない だろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れ ない」イザヤ49:15
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまない だろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れ ない」イザヤ49:15
私たちには、主に従う中で、時に経験するだろうか。祈っても、状 況が何も変わらない。どれだけ祈っても、助けが全く見えて来ない。 どこへも進めず、何も、どうにもならない。愛されているのだろう か。ちゃんと見て下さっているのか。一人取り残されたように感じ る。 イスラエルも、苦難の状況があり「主は私を見捨てた、主は私を忘 れた」と言った。失望落胆し、意気消沈していた。しかし、そんな イスラエルを、主は励まされている。「女が自分の乳飲み子を忘れ ようか。胎の子をあわれまないだろうか」と。 そのように、決して愛する者を見捨てることは無いし、忘れ去るこ とも無い。そして「たとい女たちが忘れても、このわたしはあなた を忘れない」と。決して我が子を忘れることのない母親が、万一忘 れたとしても、このわたしは絶対に忘れないと。 私たちは、絶対に忘れられる事も、見捨てられる事も無い。よく病 院で、忙しい看護師さんが、絶対に忘れてはならない重要な事を、 水性マーカーで手のひらに書いている姿を見る。手は必ず目に触れ るからだ。 その文字は何度も消しては、書き直す。手を洗えば消えてしまう。 しかし、主は「手のひらにあなたを刻んだ」と言われる。刻んだも のは消しても絶対に消えない。それほどに強く堅く愛されている。 あなたは今、自分は忘れられているとの思いがあるだろうか。そう ではない。絶対に見捨てられず、忘れられていないことを、あなた をじっと見て下さっている事を覚えよう。 ・・・・・・・・・・・・ 素直に御言葉を受け入れるなら、どんなに喜びであり、安堵であり 嬉しい事だろう。御言葉をかみしめ、反すうし「決して忘れない、 手のひらにあなたを刻んだ」と言われるお方を見つめ続けよう。