2013年06月07日(金)

「しかし、もし、わたしのとりでにたよりたければ、わたしと和を結ぶがよい。和をわたしと結ぶがよい」イザヤ27:5

               
ある人が、職場で、皆の前で面と向かって、批判され、きつい言葉で攻撃された。それが、自分サイドの思いは違っていて、理不尽で、なぜそんな事を言われなければならないのか。納得が行かず、ひどく傷ついた。更に、人々の面前でもあり、プライドも傷つき、赦せない思いで一杯になり、怒りと憎しみが湧き上がった。しかし、赦せない思いは、相手でなく、苦しいのは自分だ。苦しくてたまらない。心が重く暗く、悶々状態だ。

しばらくして、部署替えがあり、その相手は目の前からいなくなり、顔を合わす事も全く無くなった。しかし、目の前にいなくなっても、憎しみは無くならならず、苦しく、辛くてたまらなかった。それなら赦せば良いのに、赦せない。忙しい時は紛れているが、空いた時間が出来ると、ふっとよみがえり、心に影を落とす。楽しい時も楽しくなく、囚われの身のようだった。

追いやられるように、主の御前に行き、何もかも心のありのままを打ち明けた。苦しくてたまらない事、赦せない事、しかし、自由になりたい事・・このままではいたくない。葛藤はあったが、赦すことを決意した。赦します。助けて下さいと、主に意志を向け、明け渡した。すると不思議が起こり、心の苦しさが消えて、楽になり平安になった。嬉しくて感謝でならなかった。赦さない心は、相手でなく、主との間に隔たりをつくっていた事に気づかされた。
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問題はいつも自分と主との関係だ。気づきを与えられたら、変わりたいとの祈りを主に献げて行こう。主が内側から私たちを変えて行ってくださる。今日も主の道を平安に歩んでいこう。