2013年11月08日(金)

「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを信じました」ローマ4:20


アブラハムが75歳の時、神の示しに従い、カランを出てカナンの地に移り住んだ。しかし、子が無く、エリエゼルを相続人にと考えていた。その時に、神から、あなた自身から生まれ出る者が、跡継ぎとなると言われた。満天の星を見せられ、子孫はこのようになると。アブラハムは信じ、神はそれを彼の義と認められた。

しかしその後、ずっと子供は生まれず、サラの提案により、女奴隷ハガルによりイシマエルを得た。86歳であった。だが、それは肉の思いによる事であった。その後も、約束はあっても状況的には何一つ動かない、何も見えない歳月が続いた。厳しい忍耐の時であった。それから13年後、99歳の時に、主が彼に再び現われ、子孫を与えると語られた。そして、100歳になって、とうとうイサクを得た。

アブラハムは常識的にはもう不可能な、厳しい状況の中で、見えるところでなく、神ご自身を信じた。望みえない時に望みを抱いて信じた。見えたなら信仰は必要ない。見えないものを信じるから信仰だ。それは厳しい状況を見るのでなく、約束して下さった神を見続ける信仰だった。アブラハムには数々の失敗があった。しかし、信仰の父と言われ、神はその「信仰」を喜ばれた。あなたも今、厳しい状況だろうか。「胎の死んでいることを認めても」、尚も神の約束の言葉に立とう。神の約束は真実だ。
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厳しい現実しか見えない所で何を見ているだろうか。必ず祝福が待っているとの御約束に立っていても、目の前の現実が大きく見える日もある。明日を変えることの出来る神を見あげ、御約束に賭けていこう。