2013年12月09日(月)

「しかし、主よ。私はあなたに信頼しています。私は告白します。『あなたこそ私の神です。私の時は、御手の中にあります』」詩篇31:14 



神は、神の時間割を持っておられる。花の種まきをした事があるだろう。種を蒔いて、水をやり見守っていると、そうこうしている内に芽が出る。日を重ねながら、芽が少しづつ生長し、茎となり、やがて綺麗な花を咲かせる。植物の生長にも、神は時を定められ、時のスケジュールがある。芽、茎、花、実と、神の秩序と時がある。

もし、これを無視したらどうだろう。種から芽が出やすいようにと、人の手で種に裂け目を入れたらどうだろう。種は死んでしまう。早く花を咲かせようと茎を引っ張ったならどうか。神の時をじっくり待たないなら、自分で無用の、不毛のあがきをして、返って損なってしまい、出る芽も出ず、咲く花も咲かず、実も実らない。

霊的成長も同様だ。成長には必ず時間がかかる。長期戦であり、神のスケジュールは長期計画だ。悪あがきをせず、人生の苦しみ、喜び、悲しみ、それぞれの「神の時」をしっかり受け入れ、受け止めて、生きて行く事が大切だ。これこそが成長とされる。

ダビデは「四方八方みな恐怖」で出口も見えない苦難の時に、この時が、神の「御手の中」にある事を見た。そして、これらの状況、事態は、「神の時」に、導かれ回復して行った。苦しみ、悲しみ、何の希望も見えない時、しかしこの「時」は、愛の「御手の中」にある事を覚えよう。握っておられる神に目を向け、信頼して行こう。その時に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」ことを実際に体験して行く。 
-----------
花が咲く時期だけが最善で、祝福なのではく、一日一日が神の時、恵みの中だ。くり返す失敗や、思い通りに行かない時の中で、いつも共におられる主を感じる。その時々が信仰を増し加えられる大切な時間だ。