2014年01月09日(木)

「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」詩編39:7 



この詩編記者は、苦しみの中で「なぜですか、どうしてこんな目に会うのか」との不満がうっ積していた。しかし、舌で罪を犯してはいけないと、口に口輪をはめた。ひたすら沈黙を守った。しかし、黙していると、ストレスが更に高じて内攻し、爆発しそうだった。それを、彼は人にでなく、神にそのままぶつけた。心の中の本音を吐き出し、気持ちを洗いざらい、神に告げた。人生は、はかなく虚しいと。私の一生は無いも同然と。

しかし、心の内をことごとく吐き出した時に、信仰が戻って来た。この虚しい人生で、望みをかけられるのは何かと、見上げた時に、神を見い出した。「私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」と。そして、本音を神にことごとく告げた後、私は黙し、口を開かないと言っている。「私は黙し、口を開きません。あなたがそうなさったからです」と。

同じ、口を開かないだが、最初の口輪をはめ、ストレスに陥ったのとは全く異なる。「あなたがそうなさった」と、すべての事に主の主権を認め、神のご計画を認め、それを受け入れ、主の御手に委ねた。自らの気持ちを、ことごとくさらけ出したから、御手から来たものを、平安もって受け入れることができた。私達も自らの奥底の気持ちを、ことごとく主に告げる時、主のご計画を受け入れる事が出来る。あなたもことごとくを主に打ち明けよう。
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心の中の本音を主にうちあけた後は、ただ黙して主の御言葉を聞き導きを待てる静かな平安が戻ってくる。これも主の御計らいだ。望みは主から来ると一日、一日知って行きたい。