2014年02月06日(木)

「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨハネ1:7 



ある女性が、辛い成育歴があり、その怒りが母親に向かい、母親を憎み、恨み苦しみ悶々状態だった。彼女が苦しみの中で、神に出会い、神を信じた。その後、少しづつ御言葉を学ぶ中で、その問題が取り扱われた。ずっと苦悩の中にいた。どんなに楽しい時にも、その事が頭をよぎると、心が重苦しくなった。

楽しいはずが、気持ちは暗く、決して逃れられない、牢獄の中にいるようだった。憎んで苦しいのは相手でなく、自分なのだ。心が、がんじがらめだった。神の御前に、この事を差し出し、あるがままの気持ちをことごとく告げて祈った。聖霊は心に示された。あの時の事・・この時の事・・、こうなったのは、母親のせいだと思っている事。母親が悪い、それで母親を恨み、憎んでいる事。

しかし、母親を責めていれば、自分を見なくてすむ事も、うすうす気づいていた。そして御霊により示された。母親に確かに非があったかも知れないが、その母親を憎む事は自分の問題であり、それは自分の罪である事を。それがわかった時、どうであれ母親を憎む事は、自分の罪だと認め、神の前に認め悔い改めた。

その時、涙が溢れ、頑なな心が溶かされて行くのを感じた。神の赦しを実感し、心が平安になった。そしてあの憎しみと苦しみが不思議に消えて行った。相手に関係無く、自分の感情、思い、行為は自分の責任だ。それを認めて、悔い改める事が、責任を取るという事だ。その時、初めて平安を味わう。
-----------
御霊の光の中で罪を示され、悔い改め解放される。生涯この繰り返しだ。罪の世にあって主との交わりの中に生きておれるとは、なんと幸いなことだろう。