2014年05月09日(金)

「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」マルコ4:40 



「向こう岸へ渡ろう」との主の言葉に従って、舟に乗ったら、弟子たちは大嵐に会った。舟は波をかぶり、水で一杯で、このままなら転覆だ。「溺れて死にそう」なほどの恐怖であった。しかし主は平然と熟睡中だ。何をどうすればよいのか、弟子たちは動揺しパニックになった。

そんな弟子たちに、主は「信仰がないのは、どうしたことです」と言われた。ここでの問題は波や風でなく、「不信仰」だった。主が同船しておられるのだから、どう考えても舟が転覆するはずがない。沈む事の方が不可能だ。しかし、弟子たちには、主は飛んでしまっていた。

私たちの姿だろうか。不意の、想定外の事態に襲われた時に、頭が真っ白になって、主も、御言葉も飛んで、もう恐れと不安しかない。混乱状態だ。しかし、主は大嵐の中で、熟睡しておられた。「向こう岸へ渡る」事が御心であり、その御言葉は100%成就する。天地がひっくり返っても、何がどうなろうと、必ず向こう岸へ渡れるのだ。だから、主は平安と安堵のまっただ中におられた。

不安と恐れが来た時、主が同船しておられる事を覚えよう。「信仰がないのは、どうしたことです」と言われ、「嵐がひどかったね」とは言われなかった。今、目の前の困難は、状況の問題でなく、自分の不信仰が問題だろうか。主のもとへ行こう。信仰を与えて下さる。
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目の前に不安要素はあっても主が「渡ろう」と言われるなら必ず約束の地に行ける。風や波のたびにくり返し不信仰を示されるが、恐れて退く者にならず主と共に向こう岸に立とう。