2015年03月09日(月)

「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう」箴言27:4



「妬み」は誰しもが経験する悩みだ。ある人が、職場の同僚がほめ
られると、いつも心がザラッとした。初めは気づかなかったが、彼
に関わることになると、なぜか心がザラつく事に気づいた。主の御
前にありのままを告げて祈った。その時に「妬み」であることを示
され、気づかされた。プライドがあり、認めたくなかった事もわか
った。悔い改め、平安が戻った。

サウル王もダビデを妬んだ。女たちが歌い踊った「サウは千を打ち、
ダビデは万を打った」その歓声を聞いて、サウルは激怒し、ダビデ
に嫉妬し、それは憎しみとなり、ダビデを攻撃し殺害しようと狙っ
た。妬みは殺人にまで及んでしまう、恐ろしい罪だ。しかし、ダビ
デはサウル王に何一つ悪い事をしていない。むしろ有能な素晴らし
い部下であり、忠実にサウルに仕えていた。

妬みのとりこになってしまうと、全く何も見えなくなる。ダビデが
どんなに自分に良くし、仕えてくれているかも、主の祝福がいっさ
い見えない。盲目になる。妄想の中で、相手を疑い、悪意を持ち、
ますます主から離れて行き、愛、喜び、平安を閉め出す。妬みは人
生を台無しにしてしまう。

上記の男性は、妬みを主の御前に心底悔い改めた。そして相手の祝
福を祈った。ますます彼の営業成績が上がるようにと。すると、自
分の心に御霊の喜びが来て、苦しみから解放された。そのまま主の
もとへ行こう。主が解決へと導いて下さる。
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怒りや憤りは相手にも非があるので、まだ自分の罪を悔い改めやす
いが、妬みは陰険だ。良い人、有能であるがゆえに妬むのだから、
絶対に自分は認めたくない。気づいたらすぐに主のもとに行こう。