2015年05月09日(土) 「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいて あなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」エ ペソ4:32
「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいて あなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」エ ペソ4:32
“赦せない心”は日々を重苦しくし、平安を失わせる。赦せない相 手が思いに来ると、心暗くなり、辛くなる。どんなに楽しい事があ っても、暗闇に沈んでしまう。楽しい時に楽しめない。平安が無い。 できるだけその相手に会いたくない。又、思いに浮かぶと、ますま す怒りが湧き、苦しくなる。しかしその相手を避けても、問題は何 も解決しない。心はずっと不自由で、牢獄の中で、囚われの身だ。 苦しいのは相手ではなく、赦せない本人自身だ。このまま平安の無 い状態でいたいだろうか。 牢獄から出るには、まず赦す事を決心し、選択することだ。しかし 絶対に赦したくない自分がいる。だがこのままでいたくないなら 「赦したくありません。出来ません。でも、そう出来るように助け て下さい」と祈ろう。主はその祈りを受け止めて、解決へと導かれ る。 ある人が、同僚の態度や言葉が自分にきつく、トゲがあり、深く傷 ついていた。段々赦せない思い、憎しみになって来る。主の御前に 自分の思いも感情も告げて祈り続けていた。そんな折り、昼食を共 にする機会があった。祈りながら接すると和やかな雰囲気になり、 彼女が生い立ちを話し始めた。 余りにも大変な境遇に驚かされた。相手への見方が変わってしまい、 自分が変えられた。まさにこれこそ祈りの答えだった。そのまま主 のもとへ携えよう。祈ろう。色々な形で主は必ず導いて下さる。 ・・・・・・・・・・・ 多くの人が赦せない相手がいて、悪戦苦闘し、祈り、委ねる中で赦 せるように導かれて行った。その形も人それぞれだ。主は必ず導い て下さる。赦したくない。しかし苦しいから助けて欲しいと、まず 祈りに持って行こう。祈る時、主が働かれる。