2015年07月08日(水)

「カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、 兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは 悪く、兄弟の行ないは正しかったからです」Tヨハネ3:12



アベルの献げ物が神に受け入れられ、カインの献げ物が受け入れら
れなかった。その時、カインはひどく怒った。怒るとは、自分は正
しく、神に問題があるとする事だ。神を正しいとするなら、受け入
れられなかったということは、自分側に何か間違いがあるはず、そ
れが普通の考え方だ。

しかし、カインはそうでなかった。顔を伏せていて、間違いをわか
っていたようだ。だが、自分の側の間違いを認めず、受け入れない
神に対して怒った。神を正しいと認めないので、アベルをも認める
ことができない。そのため受け入れられたアベルに嫉妬し、激しい
憎悪を向けた。

「あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる」とあり、
カインは正しく行なっていなかった。もし動機が正しければ、良心
にやましいところが無ければ、真っ直ぐに立っておれる。「あなた
が正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなた
を恋い慕っている」もし間違っているなら、悔い改めなければ、罪
に支配されてしまう。罪に罪を重ねてしまう。

カインは悔い改めなかったので、アベル殺害へと至ってしまった。
しかし、殺害後も、神は「アベルはどこにいるのか」と、尚も悔い
改めの機会を与えられる。神はあわれんでいて下さる。神のあわれ
みは尽きないのだから、憎しみや妬みがあるなら、今すぐに悔い改
めよう。赦されて、軌道修正され、方向変換し、御心へと歩んで行
ける。

・・・・・・・・・
罪はそのままでは終わらず、増幅して行く。怒りを治めるようにと、
主はカインに語られたが、従うことをしなかった。怒りを許してし
まうと、コントロール不能になって行ってしまう。主はどこまでも
あわれんでいて下さる。悔い改める時、方向変換して行ける。