2015年08月09日(日)

「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。 ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。 みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられ なかったからです」ヘブル4:2 



御言葉を聞く時に、聞き方に注意せよと言われている。イスラエル
の民は、皆、モーセから神の言葉を聞いていた。主は、乳と蜜の流
れる地、カナンへ導くとの約束を与えられていた。しかし、民は、
聞いた言葉が「信仰に結びつけられ」なかった。そのため、最後ま
で神を疑い、目に見える様々の苦しい状況を見るばかりで、主の約
束を信じようとはしなかった。

結局は、不信仰によってカナンの地に入れずに、荒野で滅ぼされて
しまった。何のためにエジプトを出たのかわからない。モーセは神
の言葉を語った。聞く側に問題があった。サラも、アブラハムに、
子供が与えられるという神の言葉が、信仰に結びつけられなかった。
そのため、自分に子供ができないので、奴隷ハガルによって、イシ
マエルを産み出してしまった。

どんなに素晴らしい御言葉を聞いても、信仰によって、自分の心に
結びつけられなければ、何もならない。信仰持たないで、御言葉を
聞いても、何の祝福も無い。信仰は、神の言葉と自分を結びつけて
くれる。御言葉を信じる時に、神の言葉は、自分の内で、力となり、
いのちとなり、湧き上がる。

御言葉を信じて行く時に、御霊が私たちの心の奥底に働いて、自分
が変えられて行く。そのために、聞いた御言葉を、実際に、行なっ
てゆく事が大切だ。その時に、神の栄光が現わされて行く。

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御言葉を漫然と聞いていると、わかっているようで、わかっていな
かったりする。「わたしの目にはあなたは高価で尊い」「あなたを
罪に定めない」を信じたなら、どんなに喜びと平安に溢れるだろう。
実は信じていないことが問題かも知れない。自らのありのままを主
に告げて行こう。主は、無いところに与えて下さるお方だ。