2016年02月07日(日)

「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、 魚の腹の中にいた」ヨナ1:17



有名なヨナの箇所だ。ヨナは、ニネベに行けとの主の命令が気に入
らず、「主の御顔を避けて」、渡りに船とばかりに、タルシシュ行
きの船に乗った。すると嵐になり、ヨナは自分のせいで嵐になった
ので、自分を海に投げ込むようにと。

その海の中で、大きな魚を備え、神はヨナを守られた。そこでヨナ
は祈り、魚の腹から出た後、今度は素直にニネベに行った。ところ
が、ヨナの言葉に人々は悔い改め、神は災いを思い直された。それ
がヨナには納得行かない。

町を出て、小屋を作り、その陰に座った。どうなるか、見てやろう
との態度だ。神はとうごまにより、日陰を作られたので、ヨナは喜
んだ。しかし翌日は、虫によりとうごまは枯れた。焼け付くような
太陽は照りつけ、衰え果て「死んだ方がまし」と死を願った。

苦い思いから、機嫌が良くなったかと思うと、又、ぐったり衰え、
死にたいと思う。私たちも、些細な事で一喜一憂し、信仰がグラグ
ラする。うまく行けば喜び、行き詰まれば落胆し、思い煩う。外的
状況に振り回される事が問題だ。

状況に関係無く、内側に、確固とした信仰、喜び、確信を持つ事が
大切だ。神はヨナを大きな愛で愛しておられる。御心をそれても、
決して見捨てず、見放さず、その愛は変わらない。忍耐をもって導
かれる。この同じ愛であなたも愛されている。状況でなく、神のこ
の変わらない愛に礎を置こう。

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主の御顔を避けて、御心に逆らい、反対方向へ逃げる。それで切り
捨てられるのでなく、主の愛は変わらず、主のあわれみは尽きず、
魚を備えて、導かれる。見捨てられず、見放されない。備えがずっ
とあった事に思い至る。