2016年05月09日(月)

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」Tサムエル15:22

サウル王は、祭司しか献げる事のできないいけにえを、自分で勝手
に献げてしまった。又、アマレクを打ち、すべてのものを聖絶せよ
との命令にかかわらず、最も良いものを惜しみ、値打ちの無いもの
だけを聖絶した。そしてアマレクに勝利した事で、自分のための記
念碑も建てた。しかしサウルのした事は、罪だった。占いの罪、偶
像礼拝の罪であり、主の御前に大きな罪であった。

人間的に見れば、7日間も遅れたサムエルも悪いのではないか。ま
して民が離れて行こうとしている中、すぐにいけにえを献げた方が
良いのではないか。むしろサウルは立派な事をしたのではないかと、
思えてしまう。サウル自身、良い事をしたとの自覚しかなかったろ
う。しかし、主が言われた事を行なう事が大切で、重要な事だ。

自分が良いと思うこと、又、主が喜ばれるであろうと、「自分が」
思う事をするのではない。主の示しより、自分の考えの方が良いよ
うに思える。が、それが、「主のことばを退けた」、主のことばを
捨てた事になってしまう。私たちもどうだろう。主が喜ばれるであ
ろうと、「自分が」思う事を行なってるだろうか。

主が一番喜ばれる事は、御声に聞き従うことであり、そのためにま
ず祈り、御声を聞く事が必要だ。御霊が助けて下さる。主が告げら
れた事に従って行く時、それも御霊が助けて下さる。大きな祝福が
備えられている。
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主に対する聖い畏れがなければ、いつの間にか自分が主の前に立ち、
自分の都合を優先してしまう。主は結果よりも動機を見ていてく
ださる、主を信頼する心、主を愛する心で御言葉に従おう。