2016年06月08日(水)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8




ある人が、初めて教会へ来た時に「あなたは罪人です」との説明を
受けた。何と失礼なと、正直、ムッと来た。人一倍、真面目に、一
生懸命に生きて来たつもりだ。それがどうして?しかし、教会で聖
書の学びを続ける内に、その言葉が耳を離れず、心に留まり、「罪
人」ということを考えた。

様々な思いが巡る中で、今まで全く考える事もなく、目にも留まら
なかった、心の内側の事に思いが至った。自分は、福祉の働きをし
ていて、職場で、人々のために、身を粉にして懸命に頑張っている
と思っていた。周囲の皆にもそう思われていた。良い人であり、皆
に感謝されていた。しかし心の内を見た時に、自分は人に良い人だ
と思われたい、嫌われたくない、認められたい。

それなら目の前の人々のためなどでなく、自分のためではないか。
人々からの賞賛は心地良い。仕事も、自己実現できて、生き甲斐あ
る仕事がしたいからだ。それなら自己満足ではないか。物腰は低く、
決して表には出さないが、しかし心の中では人々を見下している自
分、自分が正しいと常に思っている自分。

御言葉を学ぶ中で、御霊の光が来て、自己中心、高慢、プライド、
虚栄心が示された。御霊の光が無ければ、罪は決してわからない。
こんな事、誰でもしている。当たり前であり、何が悪いのかわから
ない。罪がわかること自体が大きな恵みであり、御霊が力強く働い
ていて下さる証拠だ。感謝なことだ。
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主を信じ救われてから、外の罪より内側の罪に気付かされる。外側
だけ取り繕っていれば良かった頃とは全く違う導きが内にある。主
に差しだし赦しを受ける平安も感謝だ。御霊の導きを信じ歩もう。