2016年07月09日(土)

「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。 すると、彼女の娘はその時から直った」マタイ15:28


カナン人の母親が主のもとに来て叫んだ。娘が悪霊につかれていた。
「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい」と必死に、主にす
がり叫んだ。この全力の叫びに、主は、答えて下さるのでは、と思
う。しかし主は「一言もお答えにならなかった」。全くの無視であ
り、沈黙されたままだ。

しかし彼女は諦めず、尚も叫んだ。弟子たちは、余りの様子に、帰
して欲しいと主に苦情を言った。それに答えて「わたしは、イスラ
エルの羊以外のところには遣わされていない」と。すると、彼女は
「ダビデの子」を、単に「主よ」と変えて、ひれ伏して求めた。カ
ナン人の彼女はイスラエルではない。異邦人だ。「ダビデの子よ」
と言う権利は無い。

彼女はへりくだって正しい位置に立った。すると次に主は「子ども
のパンを子犬に投げてやれない」と言われた。何と冷たいと思いそ
うだが、そうではない。実は、主は彼女が正しく求める事ができる
ように、道筋をつけ、手助けされていた。彼女は「主よ。その通り
です」と認め、へりくだり、「小犬でも食卓から落ちるパンくずは
いただきます」と求めた。

その時、娘は癒された。彼女は主のあわれみを堅く信じたから、諦
めなかった。あわれみとは、こちらの状態にかかわらず、資格の無
い者にもらえる愛顧だ。それは彼女の信仰だった。彼女はへりくだ
り、どこまでも主を信じ求めた。あなたも今、信仰を試されている
だろうか。

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女性はへりくだり、主の言葉を次々と自らを低くして、受け止めて
行った。神と人の正しい位置に立った。主が彼女を助け、その道筋
に導かれた。そして主は拒絶を通して、彼女の信仰を引き出し開花
させて行かれた。どこまでも慈しみ深い主を今日も見上げて行ける
よう。