2016年10月09日(日)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」 Uコリント3:17


ある人が、けいこ事の中で、いじめに会った。敵対して来る相手が
いた。言葉を返してもらえなかったり、あからさまに批判されたり、
身に覚えのない事で中傷された。辛くて、悲しくて、帰宅しては涙
が出た。そんなに辛いなら、そのけいこ事を辞めればよいのだが、
その事自体は好きで、尊敬できる良い師に巡り合え、またとない機
会で、辞めたくはない。

そして自分はクリスチャン、人を愛さなければならないと、日々、
「愛せますように」「〃」と祈り続けていた。ところが幾ら祈って
も、祈りが全く聞かれない。相手は変わらず、自分の苦しみ、辛さ
も変わらず、状況も、全く何一つ変わらない。これだけ祈っている
のに、どうして?? その事を率直に主に問うて祈った。なぜ祈り
が聞かれないのか。

すると、心の奥を御霊に探られ、「愛せますように」が建前で、口
先だけの事で、心の奥は全く違った。愛したいなどと思っていない。
辛く当たられて、怒っているし、嫌でたまらず憎んでいる。しかし
そんな自分を認めたくない。良い人でありたい。だが御霊の示しに、
まさにそれが自分である事を正直に認め、告白した。

すると色々な場面が浮かび、相手は、いつも自分が皆から賞賛され
るのが嫌だったのではと、思い当たる節が様々あった。相手も、自
分の事が嫌で辛いんだなと思えて、自分の心が変えられた瞬間だっ
た。気がつくと相手の祝福を祈っていた。自分ではなく、御霊の働
きだった。

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自分では何の問題もない、OKと思っているのだが、何かすっき
りしない、祈りが答えられない、事が滞ったままの事がある。そ
のまま率直に主に向かおう。「教えて下さい」と祈ろう。建前、き
れい事で、本当の自分に気づいていなかったりする。主は教え、導
いて下さる。