2017年01月09日(月) 「「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい」マタイ21:27
「「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい」マタイ21:27
主が宮で教えておられると、祭司長や民の長老たちが、「何の権威 によってこの事をするのか。誰がその権威を授けたのか」と詰め寄 った。そこで主は、「バプテスマのヨハネは、天から来たのか、そ れとも人からか」と逆に問われた。 すると彼らは互いに論じ合い「神からと言うなら、ではなぜ、ヨハ ネを信じないのか。更に彼が、救い主と示すイエスを信じないのか という事になる。人からと言えば、ヨハネを神からの預言者として 認めている群衆の反発が恐い」。そこで彼らは、「天から」とも 「人から」とも答えず、「わかりません」と逃げた。 結局、彼らは真実から逃げて、突き詰める事をせず、主にも、自分 にも向き合わず、責任を取ることもせず、自分の思い通りに生きて 行った。その時、主は「わたしも、何の権威によってこれらのこと をするのか、あなたがたに話すまい」と言われた。 私たちもどうだろう。主を信じてはいるのだが、何が真実かでなく、 実は人の目を気にし、自分の思いに歩みたくて、主からの示しに従 いたくなくて、うやむやにしたり、自分をあいまいにして、ごまか していたり、そんな部分があるだろうか。後回しにして、触れない ようにしていたりする。しかし、それなら、主を知ることもなくな ってしまう。 自分の中のあいまいにしている所、逃げている部分に気づくだろう か。気づきを通して、ますます喜びと平安に満たされ、主の愛の高 さ広さ深さを知って行く恵みへと導かれて行ける。信仰人生は御霊 の気づきが何より感謝だ。 ------------- あいまいにする所に、今一度立ち止まり向き合ってみよう。自分の 本音が見えると、そこから祈りも与えられる。心の目が開かれ主と 深く関わり、一つずつ主を知る喜びに与りたい。