2017年07月09日(日) 「もし、私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進 もうではありませんか」ガラテヤ5:25
「もし、私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進 もうではありませんか」ガラテヤ5:25
私たちは、主に従って行きたいと思う。しかし、自分の力で、主に 従おうとすると、怒りが湧く事態に出くわすと「怒ってはいけな い」と、怒りをぐっと抑え込む。又、相手の態度にイライラすると、 「忍耐しなければ」と、ぐっと我慢する。あちらでも、こちらでも、 我慢を重ねる。 しかし、無くなってはおらず、内側に抑え込んでいるだけなので、 許容量オーバーになると、必ず切れて爆発する。定期的に爆発して は、それまでの証しが台無しになる。経験あるだろうか。我慢する 事は、抑え込むだけなので、それが溜まると大噴火する。 主に従うとは、押し殺し、抑え込み、我慢する事ではない。それな ら、外側を懸命に取り繕うだけになる。クリスチャンである事は、 フラストレーションのかたまりになってしまう。そうではなく、歯 を食いしばって頑張り、眉間にしわを寄せて我慢するのでなく、 「我慢できません」「忍耐できません」「腹が立ってどうにもなり ません」と、主に心の内をありのまま告げ、主に受け止められ、主 から力を受けて、歩む生活だ。 主によって変えられて行く。まず、自分で何とかしようとせずに、 自分の心の内を、主に打ち明けよう。主は喜んで受け止めて下さる。 主にことごとく告げて、御声に耳を傾けよう。主のみ思いを伝えて 下さる。その御声に従おう。出来ないと表明しているので、必ず御 霊の助けが臨む。 ・・・・・・・・・・・・ 気に入らない事が起きた時、内に抑え込むか、相手を攻撃して行く かのどちらかになる。しかし主の御心は、まず主に呼ばわることだ。 主に向いて「助けて下さい」と。これが肉の方へ行く事から守られ る。御霊に助けられ、御心の対応へと導かれる。