2017年08月09日(水) 「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです」ヨハネ12:7
「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです」ヨハネ12:7
埋葬の日のためにしてくれたと、主が言われたように、マリヤは、 主がこれから十字架にかかられる事を、ただ一人悟っていた。この エルサレム入城が主の最後の旅であることを理解していた。主のた めに、自分の出来る精一杯の事をしたいと願った。そのため非常に 高価な香油を惜しげもなく注ぎ出した。 「300デナリ以上に売れて」300万円の価値と思われる。弟子たちは 全く理解できておらず、「貧乏な人たちに施しができた」と、「無 駄にした」と、マリヤを責めた。しかし主は「マリヤはわたしの葬 りの日のために、 それを取っておこうとしていたのです」と、マリ ヤをかばわれた。「取っておいた」香油を今まで少しづつ蓄えてい た。マリヤの主への愛だ。 献げものは主への愛の表われだ。今、自分に出来る事をすれば良い。 自分になしうる感謝を精一杯に表わせばよい。私達はよく思う。も っとお金があれば献げられるのに。お金が無くてと。今は忙しいか ら、余裕が出来たら時間を献げよう。状況と環境が変われば、もっ と主のために労力を献げられるのだが・・と。しかし、そのように なったとしても献げない。 今、「自分にできることを」すればよい。弟子たちさえ、主の十字 架をわかっていたなかったのに、なぜマリヤは悟れたのだろう。 「主の足もとにすわって、みことばを聞き入っていた」。じっと御 言葉に耳を傾けていたからこそ、主の時が悟れた。そしてそれは今 から苦難に向かう主を、どんなにお慰めした事だろう。 --------------- 主に受け入れられるために献げるのではなく、愛する主に今の感謝 を素直に現したい。その主への応答の連続が、主の葬りを誰よりも 悟り、愛をもって主をお慰めしたのではないか。今できることは、 何だろう。