2017年11月08日(水) 「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3
あなたも経験あるだろうか。信仰生活の中で、嫌な相手と出くわす。 近所、職場、学校、親戚であったり様々だ。顔を合わせたくなくて、 どうにかして避けようとする。環境を変えたくなる。どうしても嫌 で、職場を変えたり、引っ越したりするだろうか。 しかし、その移った先で、又、同じような相手に出会う。又、職場 を変えても、同じ事が起こる。どこへ行っても嫌な相手がいる。同 じ事を繰り返し、やっと相手でなく、環境でなく、これってもしか して自分の問題では、と気づく。自分の問題だと気づけた時、光が あり、神に焦点が合った事になる。 状況は同じなのに、深い安堵感に包まれる。「羊のようにさまよっ ていたが、自分のたましいの牧者のもとに帰った」感覚だ。平安に なる。自分と状況しか見えていなかった目が、神を見ている。そう であれば、主は必ず目の前の事態を導かれる。真の問題は自分のプ ライドだろうか。虚栄心や、高慢だろうか。 主がそこを砕こうとしておられると見えると、不思議だが平安にな る。そこに主を認める時、本当の問題が見える。へりくだる事を教 えておられるだろうか。ある人が、嫌な事があるとすぐ辞め、バイ ト先を転々としていたが、主を知った時に、止んだ。一つ所で、様 々な主の訓練を、学びを受け止め、自分が変えられて行く喜びを知 った。 ---------------- 相手の問題は、相手が自分に対して謙遜になれば解決するのだろう か。何事でもへりくだってとの御言葉の通り、まず自分自身が変わ ろう。主が必ず変えてくださる。