2018年03月09日(金)

「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6


私達は、日常生活で様々な問題にぶち当たる。病気になるし、けが
もする。仕事、対人関係の問題、親子、夫婦、友人、近隣とのトラ
ブル、経済的苦境、これら問題の中で、信仰が試されている。試練
は、乗り越えるために与えておられる。つまり、乗り越える事が出
来る試練を量って、目の前に送られる。

ピリポも試された。男だけで五千人、女、子供を入れると万単位だ。
大勢を前に、主は「どこからパンを買って来て、この人々に食べさ
せようか」と。「ピリポをためしてこう言われた」のだと。ピリポ
は、人数と、持ち金をさっと計算し、「足りません」と答えを出し
た。こんな大勢の人に食べさせる事は到底無理、出来ないと答えた。

アンデレは、あるいは主が何かして下さるのではとの信仰から、何
か持っている人を捜し回った。その中で、唯一少年が、5つのパン
と2匹の魚の弁当を持っていた。とにかくそれを主のもとに携えた。
しかし、これだけの物が、こんなに大勢では何になろうとの思いも
あった。だが、不可能と決めつけて、諦めてしまうのでなく、アン
デレは、アンデレとして自分に出来る事をした。

すると、主の大いなるみわざを見た。そして全員が満ち足りた。主
はすでに「ご自分では、しようとしていることを知っておられた」。
私たちの試練の時にも、主にはすでに、しようとしていることを持
っておられる。そこに目を留め、そこを信じて、「無理」「不可能」
と決めつけてしまわず、祈って行こう。主を新たに知り、一歩一歩
成長へと導かれる。
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目の前の問題に無理、出来ないと自分の答えは決まっているが、主
の御心は何処にあるのだろう。不安の中から御心を求めて祈ろう。
御言葉を通し、祈りを通し主は必ずご計画の一歩を示してくださる。