2019年02月06日(水)

「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか」ルカ10:36




当時ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係にあった。そのサマリヤ人が、
傷を負って倒れていた敵であるユダヤ人を助けた。サマリヤ人の動
機は心からの「同情」であって、それ以外の何の下心も無かった。
あわれみ=かわいそうに思う心+行動だ。単に感情的、感傷的な同
情でなく、そこに行ないが伴う。

彼は、目の前で苦しみ、助けを必要とする人に自分に出来る事をし
た。関わるのが嫌だと、逃げて去らず、「近寄って」ぶどう酒は消
毒用に、オリーブ油は薬として惜しげもなく使った。自分の家畜を
使い、自分の予定を急遽変更し、宿に同行し、一泊し、親身に介護
の上、費用も全額負担した。中途半端でなく、至れり尽くせりだ。

愛するとは犠牲を払う事だ。自らの金銭、労力、時間を突然の必要
のために、彼は惜しまずに献げた。犠牲を払わずして愛する事は出
来ない。そしてその後、彼はきちんと自分の仕事をするために出向
いた。自分の仕事をし、再び帰りにお世話をした。自分の責任を放
り投げて世話するのではない。自分を必要としている家族を顧みず、
人の世話ばかりにかけずり回るのは違う。

自分の責任は果たすべきで、尚且つ、助けを必要とする人に、自分
に出来る事をして行くことだ。御霊が導いて下さる。今、御霊の示
しがあれば「近寄って」、従おう。祭司とレビ人は関わりたくなく
て、逃げた。自らの何かを献げて、仕える事を、今、示されている
なら従おう。それが隣人になるという事だ。
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どれ程の犠牲が必要なのか、また満足な手助けが出来るかと、実行
する前に躊躇するが、祈り、御霊に導かれながら一つ一つ実践して
いこう。通り過ぎる言い訳より今出来る事を行おう。