2019年11月08日(金)

「人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ」箴言 29:23

モーセは謙遜の代表と言われていて、「地上のだれにもまさって、
謙遜であった」と記されている。だが最初からそうなのではなかっ
た。王家の王子として過ごした40年は、人々からちやほやされ、あ
らゆる学問を身につけ、言葉にもわざにも力があり文武両道、地位
も能力もある人物であった。自信に満ちていて、自分こそが同胞を
救える者だと思った。

しかし皆の理解は得られず、結局失敗してミデアンの地に逃亡する
事となった。見渡す限りの荒野で、何も無い場所で、モーセは羊飼
いとして暮らした。王家の華やかな王子が、一転、荒野で一介の羊
飼いとなった。打ちのめされ、無力を見せ続けられたろう。名誉、
地位、富、人の賞賛、栄光、プライド、輝かしき将来、すべてを剥
奪された。

しかしこれこそがモーセの真の財産となった。荒野の試練の中で、
自信満々のモーセは砕きに砕かれ、へりくだった柔和な者へと、造
り変えられて行った。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを
授けられる。これは普遍の法則だ。水は決して高い方へ流れず、常
に低い方へと流れる。モーセは荒野で砕かれ練られ整えられ、40年
後に主により立てられる事になる。

今こそが間に合う器として、民をエジプトから導き出すという大き
な使命のために用いられる事に。主はへりくだった者を用いられる。
信仰の一番の妨げは高ぶりだ。今、もし荒野にいるなら、大きな祝
福の手前だ。主は砕き練り整えられる。へりくだって、今、いる場
で、主に従順に従おう。

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高ぶっているかどうかは、主の助言や人の助言を受け入れないとこ
ろに出て来る。高ぶっているので、人の助言を受け付けない。結局
失敗を繰り返し、滅びの道に至ってしまう。へりくだった人は砕か
れていて、誰からでも教えを受ける事ができて、ますます繁栄して
行ける。