2020年04月08日(水) 「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいでは、それが何になりましょう」ヨハネ6:9
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいでは、それが何になりましょう」ヨハネ6:9
男だけで五千人、女、子供を入れると倍以上という、大勢の空腹の 人々を前にして、主はピリポを「試された」とある。「どこからパ ンを買って来て、この人々に食べさせようか」、「どうしようか」 と。するとすぐにピリポは、手にある所持金で計算した。答えは、 こんなに大勢の人々に「不可能」だった。「足りません」だった。 アンデレは、あるいは、主は何かして下さるのではと思ったので、 弁当を持っている人を探し回った。すると一人の子供が小さな弁当 を持っていた。が、こんなに大勢には、焼け石に水だ。これが何に なろう。到底無理、だめだと思った。一万人以上の群衆に、食べ物 が無い、所持金も間に合わない、このような状況で、主は「しよう としていることを知っておられた」。すでに、解決策を持っておら れた。 あなたが今、どうにもならない、このような窮地にいるなら、主は すでに「しようとしている事を」ご存じだ。主にはできるという 「信仰」を私たちに求めておられる。「信仰がなくては、神に喜ば れることはできません」。そして、「小さな」ものを用いられる。 五つのパンと小さい魚を二匹だ。今、不安な状況にあるだろうか。 新しい環境、仕事、奉仕を前に、自分は取るに足りない小さな者だ と思うなら、主はその「小さな」者をこそ用いられる。 たった五つのパンと二匹の小さい魚が、主の手に握られる時、大勢 の人々への大きな祝福として、用いられた。そして何と全員が十分 食べて満腹した。どんなに小さくても問題無い。その「小さなもの」 が主の手に渡るかどうかが問題だ。何か示されているだろうか。そ の小さなものを主のもとに携え、献げよう。どんなに用いられるか は、驚くばかりだ。 ------------ あれがないから、これがないからと足りないところに目が行く時は 豊に用いてくださる主に求めよう。どんなものをも主は用いてくだ さる。主のご計画を信じて立とう。