2020年07月09日(木)

「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた」出エジプト15:23



イスラエルの民は出エジプトの際に、主の偉大な奇跡を目の当たり
にした。紅海が目の前で、二つに分かれ、追っ手のエジプト軍から
見事に救われた。主の全能の力を目の前に見て、驚くべき体験をし
た。ところがその後どうだろう。彼らは荒野に入り、3日歩いた。
その時水が無く、メラでは、そこの水は苦くて飲めなかった。

すると民はモーセに向かってつぶやいた。何を飲むのかと。その時
モーセは、つぶやいた民に対応するのでなく、主に向かった。主に
助けを求めて叫んだ時に、一本の木が示された。それを苦い水に投
げ入れると、水が甘くなった。あの後にも先にも無い大奇跡を見て、
まだたったの3日だ。

そしてその間も、主は昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、彼らを照
らし、昼も夜も彼らを導かれた。雲の柱と火の柱は、民の前から離
れることが無かった。あの奇跡を経験して、尚も雲の柱と火の柱で
導かれながら、目の前に少し不都合が生じた途端、不満、愚痴、つ
ぶやきだ。不信仰なイスラエルの姿は、自らの姿だろうか。

主は、苦い水を甘い水に変えられたし、そのように計画しておられ
た。主のご愛を信じ、主に信頼しておれたなら、どんなに良かった
ろう。感謝が無く、感謝を忘れる、不信仰な「つぶやき」は、主の
お心を痛める。逆に「感謝」は、すべての出来事に主を認め、主の
ご計画を認める事だ。感謝は、主を大いにお喜ばせする。
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私達も主とともに旅をしていながら、たった3日でつぶやきが湧い
てくる者だ。いつも喜びを忘れずにいよう。たえず祈り、どんなこ
とにも感謝しよう。