2020年08月09日(日) 「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、 押し流されないようにしなければなりません」ヘブル2:1
「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、 押し流されないようにしなければなりません」ヘブル2:1
信仰生活で、漂流するのように、少しづつ少しづつ流されて行く 事に、よく気をつけよう。流されている事に気づけると、仕切り直 しが出来るのだが、気づけないまま少しづつ、世に流されて離れて 行ってしまう。日曜に礼拝に行って、ぬるま湯の中の1週間だった と気づく。熱くもなく冷たくもなく、なまぬるい。主を求めないま ま、過ぎてしまった。 特に試練が無いなら、主に頼らずとも、自分で生きて行けてしまう ので、主との交わりもないまま流されてしまう。又、「ちょっとぐ らい」は誘惑だ。主に従おうとは思っているが、「ちょっとぐらい、 このくらいは、自分の好きにしてもいいのでは?」どうしても〜し たいという強い欲がある時に、「ちょっとぐらい〜」とサタンの誘 惑が来る。 そして乗ってしまい、御心からそれて行く。又、時にあるだろうか。 祈らずに、事を行ってしまって、手痛い失敗をしてしまう。後に刈 り取る事になる。ある日突然、離れるのでなく、少しづつ少しづつ、 知らず知らずの内に流されて、気がつくと、世にまみれて霊的食欲 も失せてしまっている。 そうならないためには、「聞いたことを、しっかり心に留め」るよ うにと。「心に留める」は「錨を下ろす」との意味があり、船がし っかり錨を下ろさないなら、波に流されてしまう。主に祈り、御言 葉に聞き、主と交わる生活、信仰の人々と交わり、励まし合う歩み、 今一度、確認しよう。漂流は気づかない内に起きている。 ・・・・・・・・・・・・ 流されている事に気づける事が感謝だ。気づけなければ、流されて しまう。御霊は絶えずサインを与えていて下さる。今、霊的食欲は どうだろう。以前より減退しているなら要注意だ。主のもとに行く 時、御霊を通して、御言葉を通して、霊的食欲が戻される。