2020年12月05日(土)

「彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、 知恵のないことなのです」Uコリント10:12


ある人が、自分の家の職業が恥ずかしくて、嫌で、決して人に言わ
なかった。その事で、子供の頃から劣等感のかたまりだったと。決し
て恥ずかしい職業でなどでなく、立派な仕事なのに人に知られたく
なかった。絶対に友達を家に呼ばなかった。対人関係にまで劣等
感は影響をもたらした。

主に出会った時に、初めて心が変えられた。私たちもそれぞれ形は
違うが劣等感がある。劣等感はどこから来るのか。人との「比較」
から来ると言われている。劣等感と優越感は根は同じもので、劣等
感があるから、優越感を持ちたい。そして優越感を持とうとすると
必ず劣等感に陥る。「高慢」を根にグルグル回り、アップダウンを
繰り返す。

人と比較すると、競争心、妬みが生まれる。サウルはダビデへの強
烈な妬みが憎しみへと増幅し、殺意にまで至った。妬みゆえの殺人
は、昨今も様々なニュースで目にする。「妬みや敵対心のあるとこ
ろには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがある」の通りに。

あるがまま主のもとに行こう。主は取り扱い、解放して下さる。真
に自由にして下さる。主から、極みまで愛されているので、人と比
較す必要がない。与えられているものに目を留め、賜物を用いて行
く事が大切だ。「愛は・・人を妬みません」、まずこの主の愛を十分に
知り、浸り、味わい、主にあって満ち足りることが秘訣だ。

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主との関係が第一だ。明け渡し、心砕かれて行く時に、ますます主
に近づけられる。主との交わりにより、喜びや平安で満たされてし
まうので、自然に人が関係無くなる。主を見上げて行く時に、満ち

足りる心を、満足を与えて下さる。主以外に与える事はできない。