2021年05月09日(日) 「だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、 『君。パンを三つ貸してくれ』・・」ルカ11:5
「だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、 『君。パンを三つ貸してくれ』・・」ルカ11:5
ある人に、真夜中に友人が訪れた。あいにくパンを切らしていた。 それで隣家に行き、パンを三つ貸して欲しいと頼んだ。が、こんな 時間に迷惑だと、自分が動けば、子供が起きてしまうと断られた。 しかし空手で帰れず、借りるしかすべが無く、引き下がれない。尚 も執拗に求め続けた。 その結果、隣人は起き上がり与えてくれた。しかしその動機は、う るさくて迷惑で、早く消えて欲しいからだ。愛情や親切からではな い。しかし神は違う。御父は私たちを極みまで愛しておられるので、 迷惑でうるさいからではなく、愛ゆえに与えて下さる。 アウグスチヌスの母モニカの祈りは有名だ。放蕩息子のために、モ ニカは何年も祈り続けた。ところが、祈れば祈るほどますます息子 は堕落して行った。見えるところ正反対だ。状況はどんどん悪くな る。だが「涙の子は滅びない」と励まされ、更に涙と共に、主にす がり、祈り続けた。そんな中、息子がローマへ行くと言う。大変な 歓楽街、取り返しがつかぬほど堕落してしまうのでは。止められる よう切に祈った。 が、ローマへ行ってしまった。だが、まさにそのローマで、彼は悔 い改め、神に立ち返ったのだ。祈りは見事に答えられた。祈りの答 えに「神の時」がある。時が満ちると実現する。失望せずに祈り続 けよう。事態が悪くなって行くように見えたとしても、時が来ると、 必ず実を結ぶ。長い祈りの答えを見る。御心に適った祈りは、必ず 叶えられる。祈り続けよう。 ・・・・・・・・・・・・ 主が祈りに答え、願ったものを与えて下さる動機が、愛であること が嬉しい。こちらも祈る時に、主に真心を向けて行きたい。祈って いるのに、事態が好転せずとも、尚も忍耐を持って祈り続けよう。 祈りが答えられる一歩手前かも知れない。