2021年07月09日(金)

「このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです」マタイ20:16 



あとの者が先になり、先の者があとになるとは、常識では測れない
不思議な状況だ。そこでは目に見える所でなく、見えない所が見ら
れている。主が見られるのは、心の動機や態度だ。この世では仕事
に動機を問われる事はない。結果が重要で、問われるのは成果だ。
だが神の国は異なる。ペテロは「私たちは、何もかも捨てて、あな
たに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょう」と言
った。

それを受けて、主は、あとの者が先に、先の者があとにと言われて、
ぶどう園の労務者のたとえを話された。すべてを捨てて従った、弟
子たちのその動機、働きの動機を見ておられる。ぶどう園で働いた
最初の者と最後の者達は、一日の終わりに、その動機があらわにな
った。5時の者が一デナリで、早朝からの者も同額であった時、
「一日中労苦と暑さを辛抱した」と不満を噴出させた。

主人のために働く事は、苦しく、辛い事であり、同じ一デナリと判
明した時には、怒り爆発だ。納得が行かない。自分達はもっともら
う権利があるとの立場だ。実は早朝から十分な報酬が保証されてい
て、安心して働けたとは何という恵みだろう。一日働けば、きちん
と報酬が入る。夕刻の人々は、その日の糧を待つ家族を思い、どん
なに不安と焦り、恐れであったろう。

そして思いを越えた報酬に驚き、どんなに感謝しただろう。私達は
どうだろう。信仰生活、感謝も喜びも無く不満タラタラ、主のため
に、人のためにしてやっているとの態度だろうか。動機はどうだろ
う。今一度、神の国は、恵みで成り立っている世界であり、主の恵
みに目を向け、そこに立ち返ろう。
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思いをはるかに越えた恵みによって生かされているのに何かすると
自力で祝福を勝ち取ったように思える。気をつけていたい。いつも
感謝し主にあって喜んでいたい。全てが恵みによる世界だ。