2022年01月08日(土) 「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自身を弟子たち に現わされた」ヨハネ21:1
「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自身を弟子たち に現わされた」ヨハネ21:1
主が、「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます」 と言われた時に、ペテロは「たとい、ごいっしょに死ななければな らないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しませ ん」と言った。弟子たちも皆、そう言った。しかし主が捕えられた 時に、弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。 そしてペテロは、三度主を否んでしまい、呪いをかけて誓ってまで 否んだ。主を裏切ってしまったのだ。だがその少し前に、彼らの間 で、「この中でだれが一番偉いだろうかと議論していた」とあり、 彼らの求めていたものが、主のお心と全くかけ離れていた。自分の 力で、肉の求めで、信仰生活を送っていた。 死んでも従うという言葉も、自分の思いと自分の力によるものだっ た。そのため、もろくも砕け散ってしまった。しかし、主は、信仰 がなくならないように、あなたのために祈ったと言われ、主の祈り と主の支えの御手があった。これがすべてであった。よみがえられ た主は、ガリラヤで主の方から、ペテロに、弟子たちにご自身を現 された。 そしてペテロの信仰を回復させられた。自らの力は無力だ。自分で 立ち直る事もできない。私たちのためにも、主は祈って下さってい る。エマオ途上の失望落胆した二人の弟子たちに、主の方から近づ かれて心を燃やし、再び立たせて下さったように、あなたのかたわ らにも、今、主がおられる。その主が、失望を希望と期待へと変え て下さる。 ・・・・・・・・・・・・ 自信満々だったペテロは、その肉の自信をもろくも砕かれた。将来 のリーダーとして見据えておられ、砕き、練り、整えられた。砕き は痛く辛いが、子であり感謝だ。放っておかれる方が私生児だと。 今年も、主に焦点を当て、砕きも受け止めて行けるよう祈ろう。