2022年02月06日(日) 「しかし、今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなけ ればならないのか・・私はあの子のところに行くだろうが、あの子は 私のところに戻っては来ない」Uサムエル12:23?
「しかし、今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなけ ればならないのか・・私はあの子のところに行くだろうが、あの子は 私のところに戻っては来ない」Uサムエル12:23?
ダビデは、バテシバとの姦淫とバテシバの夫ウリヤ殺害の罪をずっ と隠ぺいしていた。しかし、神から遣わされた預言者ナタンの指摘 により、それらの罪を認め、悔い改めた。主は罪を赦して下さった。 しかし「あなたはこの事によって、主の敵に大いに侮りの心を起こ させたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ」と言われた。 そして主が打たれたので、子供は病気になった。するとダビデは断 食をして、全身全霊で子供のために、祈りに祈った。しかしその子 は死んでしまった。家来達はダビデを余りにも心配して、子供の死 を伝えられなかったほどだ。それほどのダビデが、息子の死を知っ た時、起きあがり、身を整えて、神を礼拝したのだ。 ダビデの驚くべき姿勢だ。自分はこれだけ祈ったのに、なぜ神は聞 かれないのかと、不平不満、怒りを爆発させたり、又、失望落胆に 落ち込む事もできた。しかしダビデはそうしなかった。どんなにか 辛く、悲しく、苦しく、心痛んだ事だろう。しかし力を尽くして祈 った結果、こうなった時、これが神の御心である事を受け入れた。 そして神を崇め、礼拝した。ダビデの信仰だった。神の聖なる御心 を受け入れる事は、時に裂かれるような痛みを伴う。しかし、神は 聖い方であられ、同時に愛なる方だ。必ず神のなさる事は最善だ。 ダビデはそれを信じていた。今、受け取るべき御心があれば、受け 入れられるよう、主の助けを求めて祈ろう。 ・・・・・・・・・・・ 罪は主の血潮により赦され、二度と思い出さないと言われている。 しかし自らが蒔いたものは、刈り取る事になる。だが主と共に刈り 取る時、それをも万事益として下さる。何というあわれみだろう。 主のあわれみは尽きない。受け止めて行けるよう祈ろう。