2022年03月09日(水) 「もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがた にとって、何の益もないのです」ガラテヤ5:2
「もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがた にとって、何の益もないのです」ガラテヤ5:2
私たちが新生し、新しい性質は、主を喜び、主に従い、御言葉に従 おうとする。しかしその時に、衝突し、あらがって来るものがあ る。 古い性質だ。それは生まれつきの思い、この世の価値観や、習慣、 考え方だ。一見、非常に妥当に見え、常識的に見える。 今まで叱咤激励の価値観の中で生きて来たので、自力で一生懸命に 歯をくいしばって、頑張るのが善であり、良い事、美徳だ。そのた め主を信じ救われて、まことの主に向き合うや、これまで以上に真 面目でなければと、信仰生活とは厳しい修業のように思ってしま う。 自力で従うなら、苦しいだけだ。しかし苦労は美徳、苦しいのは当 然との価値観もある。これら世の価値観から来ている。しかし、そ れらは真理と正反対に向かっている。それは主から出ていない。こ こでは割礼が問題になっている。割礼によって義と認められようと するなら、恵みから落ちてしまっていると。 何かをする事により、主に認められようとする事は、もはや恵みで はない。真理から逸脱し、キリストから離れてしまっていると。信 仰生活は、主に受け入れてもらうための修業でない。主を信じた事 により、すでに受け入れられている。100%の愛を受けているゆえ に、感謝して喜んで、自由意志で主に従って行く。 「ねばならない」義務はいっさいなく、「愛によって働く信仰」愛 が動機であり、自発的な自由意志で仕えて行くものだ。そこには主 と一つに生きる喜びと平安がある。今、重荷に感じ、疲れて心が重 いなら、主のもとに行こう。主が休ませて下さる。 ------------- 自分で頑張るなら、今日は出来ても明日は出来ないだろう。自分の 行いの足りなさを嘆いているなら、キリストの十字架の恵みに立ち 返ろう。主のご愛と、あわれみにいつも支えられている。