2022年04月08日(金) 「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」 Tテモテ1:19
「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」 Tテモテ1:19
信仰生活には、信仰と正しい良心が大切だ。正しい良心を捨てるな ら、信仰の破船に会うと言っている。普通、良心=正しいものと思 うが、聖書には「正しい良心」と「邪悪な良心」が出て来る。神に 創造された人間は、良心が与えられた。が、アダムからの罪で、人 の良心は暗くなり、歪んでしまった。 神のようになりたいと、人間は自分の意志と判断で生きるようにな った。それまでは、すべての判断を主に頼っていた。人間の判断 は、 その人の背景や価値観により異なって来る。そのため良心は麻痺も するし、又、同じ事をしても、良心の呵責を感じる人と感じない人 が出て来る。 神無しでは、良心は自己中心的な判断で決まる。又、信仰者も間違 った良心の呵責にさいなまれる。「弱い良心」とは、神は責めてお られないのに、悪魔の責めを受け入れて、自分を責める。又、「邪 悪な良心」は、主に全面的に赦されているのに、過去を気に病み、 くよくよする。自分などはだめだと思う。 自己嫌悪や自己憐憫に陥る。しかしそれらは、すべて主の血潮によ ってきよめられている。「心に血の注ぎを受けて、邪悪な良心をき よめられた・・ですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこ うではありませんか」。いろんな人がこの御言葉によって、過去の くよくよから救われた。 そして「良心は麻痺する」。良心の警告を無視し続けると、良心が 麻痺して、機能しなくなり、とがめを感じなくなる。最も恐ろしい 事になってしまう。御霊の導きに敏感でいよう。そして御霊の示し に従おう。御霊により、正しい良心が保たれる。 ------------ 自分の良心は自分の思い込みや都合で左右に振れていく。何が神の 目に正しく、主は喜ばれるのだろうか。絶えず御言葉を通し、御霊 の導きを聞きながら歩んでいきたい。