2022年08月08日(月) 「ヘロデは・・彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、神の 声だ。人間の声ではないと叫び続けた」使徒12:21
「ヘロデは・・彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、神の 声だ。人間の声ではないと叫び続けた」使徒12:21
初代教会が、力強く前進していたところに、ヘロデ王が立ちはだか った。残虐非道な人物であり、十二使徒の一人であるヤコブを殺害 した。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、人々に取り入るため に、次にペテロを捕え、殺害しようとした。彼はすべては、トップ である自分の思い通りになると軽く見ていた。 しかし、主が関与され、阻止された。4人一組の兵士4組の厳重な 監視の中、御使いが現われ、鎖が解かれ、連れ出された。ペテロは 救い出された。番兵達を処刑したヘロデは、演説中に、自分に栄光 を帰しているまっただ中で、主に打たれ息絶えた。 ヘロデは常に人々の歓心を買う事に夢中であった。権力と地位を用 いて、したい放題に、自分の欲望の思うがままに振る舞った。人々 から「神の声だ」と言われ、自分が誉めそやされる事に酔いしれ、 自分に栄光を帰した。その結果、高慢ゆえに滅んでしまった。 私たちもヘロデから学ぶことができる。心の王座に、自分が君臨し ていないだろうか。それなら自分の思い通りに、欲望の命ずるまま に行動してしまう。ペテロやパウロは人々から崇められ、慕われる 時も、「栄光は主に」の立場を決して崩さなかった。彼らの信仰で あった。 私たちはどうだろう。心の王座にいるのは、主だろうか、自分だろ うか。人の目、評価が気になり、人に認められたい誘惑が絶えず来 る。そのために生きてしまう。そんな自分を認め、主を仰ごう。気 づく度に、御前に明け渡そう。栄光を主に帰する事も、主による事 で、主の助けが臨む。 ------------ 主を愛することさえ自分のために、という者ではないだろうか。絶 えず自分が王座に座っている。主の恵みによって新しく生きている 者である事をいつも覚え、主に感謝し主に明け渡していきたい。