2022年09月08日(木) 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄 光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変 えられて行きます」Uコリント3:18
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄 光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変 えられて行きます」Uコリント3:18
人は、対人関係で悩む事が多いと言われている。職場でも仕事自体 より、対人関係で悩むと。しかしその人間関係の中で、主は、私た ちを砕かれ、練られ、成長させて下さる。人から批判され、悪口を 言われる。それは思い当たる事であったり、全く理不尽だったりす る。非を指摘された時に、ムッとするだろうか。怒りが沸くだろう か。 しかし反応する自分に、自らの真の姿が映し出される。人里離れた 山中で、一人暮らしをしていて、自分は愛深く、寛容で、親切で、 忍耐があり、自制があり・・と思うのは簡単だ。誰とも摩擦はない し、関わりを持たなくてよい。何をしようと人に迷惑かける事はな い。だが目の前に人が来た時に試される。本当の自分があらわにな る。 自分に愛がない事、寛容も、忍耐も、自制もない事を知される。し かし、それは目の前に、そういう相手が送られなければわからない 事だ。自分は愛があると思っている。目の前に嫌な相手が置かれる までは。その時に初めて、自分に愛が無い事を思い知らされる。 嫌いな相手が、自分の真の姿を知らせ、成長させ、成熟させてくれ る。 当時、金の精錬のためは、火が使われた。火は、金の表面に不純物 を浮き出させ、除去しやすくする。私たちも試練により、不純物を 除かれて、きよめられて行く。自我が砕かれ、練られ、キリストの かたちへと造り上げられて行く。まず自分の真の姿を知ることか ら、豊かな祝福が始まる。実を結ぶ者と変えられて行く。 ------------ 不純物を知り、認めることは痛いが、すぐに自己満足に歩んでしま う自分にとって必要な主の取り扱いだ。心に波風がたつのはどうし てだろう。逃げずに主に祈り学ぼう。