2022年10月09日(日) 「・・神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑 なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき よせられて、誘惑されるのです」ヤコブ1:13
「・・神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑 なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき よせられて、誘惑されるのです」ヤコブ1:13
「試み」という元の言葉は「試練」と「誘惑」の両方に使われてい る。「試練」は、神からのもので、「誘惑」は、サタンからのもの だ。神は、決して悪に誘惑される事の無い方で、誰をも誘惑される 事はない。神からの誘惑は無い。神は、ご自分の子どもに試練を与 えられる。神からの「試練」は受け入れて、耐え抜く時に、いのち の冠を受ける。 逃げずに試練に向き合うなら、必ず成長する。試練は痛く辛いが、 良いものだ。反対に、サタンからの「誘惑」は決して受け入れては ならない。拒否し、立ち向かうべきものだ。それを受け入れる時、 罪を犯してしまう。だから主が「主の祈り」で、こう祈りなさいと 言われたように、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救 いください」と祈る事は大切だ。 誘惑から守られるように、日ごとに祈る必要がある。サタンの誘惑 の巧妙さは、物事が順調に行っている時に来る事だ。試練の時は、 むしろ主に拠りすがり、主に頼るので、主が近い。何の問題もなく、 平穏無事で、万事うまく行っている時に、人は油断する。主に頼ら ずとも、やって行けるので、祈る事も怠ってしまう。 頼らずとも、問題なく自分でやって行けると思ってしまう。ダビデ が姦淫の罪を犯した時にも、油断があった。部下が命がけで戦って いる時に、夕方に起き出すという怠惰な生活をしていた。サタンに つけ込まれた。誘惑が来た時に、主を仰ぎ、祈れば良かった。しか し祈る事を怠った。順調の時こそ、身を引き締め、神に感謝を献げ、 神を喜び、恵みを数え、更に神に近く歩もう。 ・・・・・・・・・・・・ 「試みに会わせないで〜」との祈りは大切だ。サタンが絶えず誘惑 してくるし、自分の内には肉があるからだ。肉はサタンの巧妙な誘 惑と合致してしまう。欲のあるところに来るので、罪にいざなわれ てしまう。祈りには力がある。祈っていよう。