2023年06月08日(木)

「『私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。』主はダ ビデに仰せられた。『行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。』」 Tサムエル23:2



ダビデは、主の示しによりペリシテ人を打って、ケイラの住民を救
った。その後、サウルがダビデを追い、ケイラに迫っている事を知
った。普通なら、ケイラの人々を助けたのだから、当然、サウルに
追われているダビデを助けてくれると思う。だが、殺害を何とも思
わないサウルは、ケイラの人々を平気で虐殺するだろう。

ケイラの人々もそれを恐れ、ダビデを引き渡すかも知れない。ダビ
デは、その事を祈りに持って行き、主に問うた。すると、ケイラの
人々はダビデをサウルに引き渡すとの答えだった。そこでダビデと
部下600人は、すぐにケイラから出て、あちこちとさまよった。ダ
ビデがケイラから逃げたと知ると、サウルはダビデ討伐をやめた。

ダビデは、荒野や要害や、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウ
ルは執念深く、しつようにダビデをつけ狙ったが、主が、ダビデを
サウルの手に渡されなかった。私たちもダビデのごとく、常に祈
り、御霊の判断を仰ぐことが大切だ。こちらが助けたのだから、当
然、助けてくれるだろうというのが普通の判断だ。

しかしダビデが肉の判断で動いていたなら、大変な危機を招いてい
ただろう。人間的判断で、行動してしまうと誤ってしまう。問題に
引き込まれる。御霊の判断、導きに目を向け、祈り心でいよう。主
は御心へと導いて下さる。主の御心の中心にいることが、一番の安
全だ。
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肉の目で見ると自分の都合の良いように御心を受けとり迷い込んで
しまう。たとえ荒野の山地でも主の御心の中心が一番安全だ。誤り
のない御心を尋ね御言葉に聞き、祈ろう。