2023年09月08日(金)

「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、 あのことをしようヤコブ4:15



主が、私たちのために計画を立てて下さっているなら、あの事、こ
の事、自分たちが、プランを立てるのは良くないのだろうか。そう
ではない。無思慮の、行き当たりばったりが良いのではない。将来
の計画や、雨の日のために備える事は大切だ。しかし重大な事は、
私たちには明日の事、つまり先の事と自分の命の事は、いっさいわ
からないという事だ。

人の生き死には、主の主権の内であり、人の手の中には無い。しか
し「私は〜して、〜して」「私は、私は」と自分が計画を立て、成
し遂げようとする。その根にあるものは、虚しいプライドであり、
高ぶりだと言っている。「むなしい誇りで高ぶっている」と。神を
無視し、自分が神の位置にいる事になる。又、人生は何が起きるか
わからない。それは誰にもわからない。それを「霧」にたとえられ
ている。

しばらく現れたと思うと、すぐに消えてしまう。非常にはかないも
のだと。だから今日〜しよう、明日〜しようと思っても、明日生き
ているかどうかもわからない。それゆえ、神無しの人生、神無しの
計画が愚かなのだと。大豊作で倉を建て増した金持ちは、「私は、
私は、私は〜しよう」と、さあ楽しもうとしたが、何と、その日に
命が取られてしまった。主は「愚か者」と言われた。

神の前に富まなかった事が愚かだと。大切なのは、「主のみこころ
なら、〜しよう」だ。祈りの中で、主と相談して、主と一つに計画
を立てて行く。「愚かにならないで、主のみこころは何であるか
を、よく悟りなさい」。その時、主の前に富む者とされ、豊かな実
を結んで行く。計画は、主と相談しながら立てよう。
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いくら綿密に計画を立てても、本当は明日の事すらわからない。主
の前にへりくだり御心ならばと、一つ一つの計画が主に祝福される
よう祈ろう。祝福の度に心からの感謝をささげることが出来る。