2023年10月09日(月)

「それゆえ、アッシリヤの王について、主はこう仰せられる・・彼 はもと来た道から引き返し、この町には、はいらない・・わたしは この町を守って、これを救おう。」イザヤ37:33


ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王のセナケリブがユダの町々を
攻め取った。セナケリブはラブシャケを送り、ヒゼキヤや人々に
脅しをかける。大軍を伴い、強力な軍隊を誇示し、挑んで来る。
ヒゼキヤが、主が救い出すと言うが、ヒゼキヤの言う事にだまさ
れるな、信じるなと言い、皆の信仰を揺るがして来る。

これを聞いたヒゼキヤはどうしたのか。衣を裂き、荒布をまとって
主の宮へ行き、祈りを献げ、イザヤにも祈りを要請した。私たちに
も、サタンは同様に、挑み、攻撃をしかけて来る。経済的な苦境で
は、どうだろう。恐れと不安をどんどんあおって来る。神を信じる
などと言って、どこから降って来るのか。

又、対人関係の深刻な悩みや、他の様々な悩みはどうだろう。心が
苦しくてたまらない。解決のつかない壁が、目の前にそびえている
ようだ。辛いばかりで、行き詰まり、どうにもならない。信仰して
いても、心が重くて沈むばかりだ。何も変わらない。祈っても無駄
だ・・サタンは信仰を大きく揺るがして来る。

しかし、このような時こそ、ヒゼキヤのように「祈り」が何より、
サタンに対して強大な武器であり、対抗手段だ。ヒゼキヤは祈り、
イザヤも祈った。すると祈りに答え、主はまさに奇跡をされた。主
の使いが戦い、勝利した。セナケリブは立ち去った。祈りこそが、
大きな力だ。苦境には、まず祈ろう。
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落ちついて祈ることで、サタンに煽られている心が主に向き、守ら
れる。自分の知恵など及ぶべくもない全能の神の存在をいつも見つ
めていなければ、すぐに揺らいでしまう。考え込む前に祈ろう。