2023年11月08日(水) 「・・彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ば して、それを押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからで ある。」Uサムエル6:6
「・・彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ば して、それを押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからで ある。」Uサムエル6:6
サウルに代わり、ダビデが王になった時に、神の箱をエルサレムに 持ち帰ろうとした。その時にアビナダブの子、ウザとアフヨがこの 任に当たり、牛車を御した。その時、牛がよろめいて、神の箱をひ っくり返しそうになり、ウザが押さえた。すると神の怒りが燃え上 がり、ウザは打たれて死んだ。 このような事態になったからには、ウザに何かの過失があった。当 時、神の箱は、アビナダブの家に運び込まれ、数十年を経ていた。 置き去りにされ、放ったままで忘れられていた。神の臨在の象徴で ある、聖なる神の箱がこんな形で置かれていた事が、当時の人々の 霊的状態を表していた。 又、神の箱は、移動では、レビ人のケハテ族が棒を通して、肩に担 いで行くよう定められていた。そして箱には決して触れてはならな かった。箱に直接触れる事は死に値する罪だった。だが、運んだ彼 らはレビ人ではなかった上、ペリシテ人がしていたように牛が引く 牛車に乗せて運んだ。神の定めた方法には無頓着であり、反してい た。神の定めた方法でなく、自分たちの方法で行なった不従順だっ た。 だが、み言葉は「不敬の罪」「ウザによる割り込み」と言ってい る。主のみわざに割り込む事、人が主を支えようとする事の罪だ。 主はすべての主権者であり、主ご自身のご計画がある。人の手に支 えられる必要はない。配慮のつもりが、自分の独善で、思いで、主 のご計画に割り込む事になる。主の上に立ち、主を妨げてしまう。 祈りにより、お心を知り、それに「従う」事を喜ばれる。 -------------- どこか真に主への畏れが失われていないか。問題がなければ自分が 先に出てしまう。簡単に御心だと過信してないかと示される。御前 にへりくだり、日々新しくされ、謙遜な態度で主に従いたい。