2024年02月06日(火)

「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置か れている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰 の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」 ヘブル12:1



救われた私たちは、天に帰るまで信仰人生を走り続ける。それはマ
ラソンコースだ。マラソン競技をする時にはどうだろう。重いコー
トを着て、かさの高いブーツをはいて、重い荷物を持っていたなら
どうだろう。そんな人はいない。良い競技をするために、「いっさ
いの重荷を捨てる」ことが必要不可欠だ。

同様に信仰生活に邪魔になる重荷がある。「思い煩い」はどうだろ
う。思い煩いがあると、重い荷に押しつぶされ、座り込む状態にな
り、全く前に進めない。心は不安や恐れでいっぱいで、他の事が考
えられず、落ち込み、心は暗い穴の中だ。又、「律法主義」はどう
だろう。大変な重荷となる。「ねばならない」に入り込み、信仰は
義務になり、辛く苦しいばかりになる。喜びが無く、苦痛でたまら
ない。

もし、自分の力で歩んでいて、喜び無く、信仰生活が辛いなら、そ
の自分を明け渡して、主に拠り頼もう。その時、律法でなく、恵み
の下にいる事になる。又、「まつわりつく罪」はどうだろう。足元
に何かが、からみついたらどうだろう。走る事など到底出来ない。
罪はまとわりついて、前進させない。常にまつわりついて、悩まさ
れる罪があるだろうか。

赦せない思い、憎しみや妬みはどうだろう。握りしめて決して放せ
ないだろうか。神以外に執着し、愛するものがあるだろうか。それ
らを「捨てて」とあり、心に上るまつわりつく罪を捨てられるよう
祈ろう。自分では出来ないが、主が取り扱って、捨てられるよう
に、献げられるようにして下さる。
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信仰生活において重荷やまつわりつくものは何だろう。偽善や憎し
み、妬み、主は必ず示してくださっている。一つ一つ祈ってみよ
う。脱ぎ捨て、解放されて身軽になりたい。