2024年03月09日(土)

「神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精練するように、 私たちを練られました・・私たちは、火の中を通り、水の中を通りま した。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。」 詩篇 66:10



詩篇記者が、主は、私たちを練られたが、豊かな所へ連れ出され、
と言っている。この世には様々な苦しみがある。経済的苦境、家庭
問題、健康上の恐れ、進路の悩み、又、対人関係で悩む人も多い。
時に被害者になることもあり、いわれのない誹謗中傷に苦しむ事も。

そんな時、「なぜ、私にこんな苦しみが?」と落ち込み、「なぜ?
なぜ?」と辛くてたまらない。そんな時、聖書から「苦しみ」の
意味を見い出せる。まず「罪の結果」としての苦しみがある。ダ
ビデはバテシバとの姦淫とウリヤ殺害の二重の罪を犯し、悔い改
めず、隠ぺいしていた期間、悶々の苦しみを通った。

"1日中うめいて、骨々は疲れ果て、骨髄は夏のひでりでかわきき
った"と。次に、罪とは関係無く、主から「試練」として送られて
来るものがある。主からの訓練だ。"愛する者を懲らしめ"愛ゆえの
鍛錬だ。罪の結果ではない。この時は試練として受け入れる事が、
祝福の秘訣だ。"試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思
いなさい"必ず一段階成長させて下さる。

又、時には理由がわからない苦しみもある。しかし主に無駄は一つ
も無い。耐えられない試練も一つもなく、脱出の道も備えられてい
る。患難は忍耐を生み、忍耐は品性を、品性は希望を生み出す。品
格が造り上げられて行く。今、試練にあるなら、必ず後に「苦しみ
に会ったことは幸せ」と言えるようになる。豊かな所へ連れ出して
下さるので、忍耐を祈って行こう。

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必ず試練は来るが、試練の最中は苦しい。砕かれるので、痛くてたま
らない。火の中、水の中だ。しかし振り返る時、この試練で、あの試
練で、この事、あの事を身を持って教えられ、自分が変えられた。確
実に豊かな所へ連れ出して下さった。