2024年06月07日(金)

「あなたが神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あな たのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことば のためだ。」ダニエル10:12



ダニエルは、バビロン捕囚が70年後に終わる事を知り、どうか遅ら
せないで下さいと祈った。すると、その祈りが終わらない内に、ガ
ブリエルが遣わされた。祈ると、すぐに聞かれたのだった。別の祈
りの時は、「ペルシャの国の君」であるサタンに、21日間妨害さ
れ、祈りがとどめられた。だが、主は、彼が主の前で、へりくだろ
うと決めた初めの日から、祈りは聞かれていると。

祈りは、主によりしっかり聞かれていたが、答えの到着に21日かか
った。待ち望む期間が必要だった。私たちもすぐに答えられる祈り
があり、時に、答えが延ばされる祈りがある。しかし、主を待ち望
もう。それは遅くなっても必ず来る。主を「待ち望む」ことを学ば
される時がある。その時は信仰が試される。

待つ期間が無ければ、信仰を用いる必要がない。自動販売機のよう
に、お金を入れると、すぐ飲み物が出て来るなら、待つ必要が無
い。それなら信仰が鍛えられ、練られる事がない。祈りの答えが遅
れている時こそ、信仰を使う時だ。信仰の訓練であり、成長の時
だ。

又、明白に「ノー」の答えもある。「ノー」も神のご意志だ。祈っ
たからこそ、主の「ノー」がわかる。「即、実現」「ノー」「待ち
望め」のどれかだ。しかし、あなたの祈りが聞かれ、聞いて下さっ
た結果だ。主はどんなに小さな祈りも聞いて下さっている。環境を
見つつ、答えを見張ろう。
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祈り、まだ語っている時にガブリエルが素早く飛んできてとある。
主は祈りを聞いて最善の答えをくださる。待ち望むことが主の御心
ならそこから学ぼう。祈りつつ主の答えを見張ろう。