2024年07月09日(火) 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわた しを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満 腹したからです。」ヨハネ6:26
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわた しを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満 腹したからです。」ヨハネ6:26
大勢の群衆が主のもとで、御言葉を聞いていた。男だけで五千人と いう大変な数の人々に、主は、五つのパンと二匹の魚で奇跡をされ た。大勢の人々が、全員満腹した。その奇跡を見て、群衆は大歓声 で、主をかつぎ上げ、王とするために連れて行こうとした。しかし その時に、主はひとり、山に退かれた。 人々は奇跡を目の当たりにし、満腹した時に、「まことに、この方 こそ世に来られるはずの預言者」と言った。だが、主はその心の内 をご存じだった。群衆は、主を崇め、主に従って生きて行きたいと 思ったのではなかった。主について行けば、ずっとパンがもらえ る。生活の心配がなく、良い暮らしができる、自分の利得のための 主であった。 私たちもどうだろう。何かがもらえるから、主について行くのだろ うか。それは自己充足、自己実現かもしれない。何のために、主に 従っているのだろう。主は満腹を下さる。自分の願いが叶えられ、 欲望が満たされる。しかし、もしそれがすべてなら、自分の願望が 叶えられる間はついて行くが、一旦、思い通りでなくなると、主を 離れ去る。ついて行く意味が無いからだ。 主は必ず必要を与えて下さる。しかし何でもかんでも、私たちの思 い通りに動かれるのではない。人々が主を「むりやりに連れて行こ う」とした時に、主は退かれた。私たちはどうだろう。今、自分の 願いを通そうと、「むりやりに」主を連れて行こうとしているだろ うか。そうでなく、何のために主に従っているのかを、御霊に探っ て頂こう。 -------------- 思い通りをと祈るが一見、喜べないものも、その中で主が働かれ祝 福としてくださる。主の最善はすぐに消えてしまうものではなく、 生き生きとした主との交わりが続く。感謝だ。