2024年10月09日(水)

「さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられる と、マルタという女が喜んで家にお迎えした」ルカ10:38



主が、マルタとマリヤの家に来られた。その時に、マリヤは、弟子
たちと共に主の足もとに座り、主の語るみ言葉に聞き入っていた。
一方マルタは、非常に忙しく立ち働いていた。主と12弟子の食事
のお世話は大変だ。段々と夕刻が迫って来る中、準備は思うように
はかどらず、マルタはイライラし出した。

そして何と主に、自分だけに食事の世話をさせて、妹は何もしない
で座っている、それを何ともお思いにならないのかと、主を責め、
嫌な物言いをする。妹に、私を手伝わせるように、言うようにと。
初めは良いのだが、段々疲れてくると、何で自分ばかりがと、不満
タラタラになる。そこに何もしていない人を見ると、怒りがわく。

喜びも感謝も吹っ飛んで、重荷と義務ばかりとなる。イラ立ちで、
本末転倒となる。喜んで始めたはずが、時に経験するだろうか。
マルタは、主からの愛をもった諭しを受けた。色々と思い煩ってい
る事、だが、どうしても必要なものは、一つだけと。それはマリヤ
がした事、まず座って御言葉に耳を傾ける事だと。

それらの後、過ぎ越しの祭りの6日前に、主はベタニヤに行かれた。
人々は主のために晩餐の用意をした。その時に「そしてマルタは給
仕をしていた」と出て来る。マルタは、主の言葉で学んだ事だろう。

私たちもどうだろう。喜び無く義務感で、不満が募る時、まず必要
な一つの事に立ち返り、静かに主と交わろう。主を見上げる時、主
の霊に触れ、必ず新しくされる。感謝と喜びに返される。
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主が来られたのに、給仕することを止めて主の足もとに座るのには、
大きな決断がいるが、選択を間違えないようにしたい。主との交わ
りをもち、そこから喜びをもって次の仕事にかかりたい。