2025年03月09日(日) 「イエスは・・大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、 ピリポに言われた。『どこからパンを買って来て、この人々に食べ させようか』」ヨハネ6:5
「イエスは・・大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、 ピリポに言われた。『どこからパンを買って来て、この人々に食べ させようか』」ヨハネ6:5
五千人の給食の箇所だ。ピリポは、人々にどうやってパンを食 べさせようかと、主から問われた。彼は頭で計算し、所持金では 無理との答えを出した。常識、見えるところで、不可能との結論 だ。しかしそこには、主への信仰が抜け落ちていた。所持金でも、 自力でも不可能だが、主にとっては、どうだろう。自分には出来 ないが、主には出来る、これが信仰だ。 「人にはできないことが、神にはできる」。「自分には出来ないが、 主には可能」、主はその信仰を求められた。そしてすでに、ご自 身が「しようとしていること」を知っておられた。詩篇記者は言っ た。軍事力の大きさによっては救われない、人は力の強さにはよ らない、軍馬も軍勢も救いにならないと。普通、戦争に勝つには、 兵力が勝負だ。100人対10000人ならどうだろう。 どう見ても多い方が有利だ。ところが詩篇記者は、兵力の大きさ は救いにならないと言う。救いは、主によるのだと。主に信頼し、 主の指示に従って戦う時に、勝利を得る。私たちはどうだろう。 現実生活において、兵力の多い少ないがすべてだろうか。ピリポ のごとく、見えるところで計算し、結果を出してしまうだろうか。 今、目の前の問題、悩みに、見える所、常識、経験値で判断し、 失望落胆しているだろうか。主が抜け落ちていないだろうか。今、 そのままの気持ちを、まず祈りに持って行こう。主が信仰を与え、 導いて下さる。主は、ご自身がしようとされている事を、すでに 決めておられるのだから。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主が、いつも問われる。「それは、あなたには難しく、無理でしょ う。しかし、わたしには、出来ませんか」と。信仰を試される。そこ で学ばせ、成長させようと、何度も同じような状況が与えられる。 信仰の一歩を踏み出せるように。