2025年04月07日(月) 「彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。 彼らには水が見つからなかった」出エジプト15:22
「彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。 彼らには水が見つからなかった」出エジプト15:22
エジプトを出たモーセと民は、荒野を3日間歩き続けた。炎天下に 水が無い。民は喉がカラカラで死にそうだ。そんな民は、大賛美大 歓喜から一転、失望落胆、不満、嘆きに180度変わった。その時に マラで水を見つけた。大喜びしたが、苦くて飲めなかった。それで 「マラ」(苦いもの)と言った。そこで主に求めるのでなく、民は 落胆し、不満、怒りをモーセにぶつけた。 あの主への大感謝は見事に吹っ飛び、手の平返しだ。そこでモーセ がした事は、怒る民への対応でなく、まず主に向かい、主に叫び祈 った。すると一本の木が示され、投げ入れると苦い水が甘くなった。 私たちも日常で何か事が起きると、不安、恐れ、不満、怒りに襲わ れる。それが苦い水となり、心に苦みが渦巻く。 主は一本の木を備えられたが、私たちにも備えられている主の十字 架だ。主を離れると、必ず不満、つぶやきとなる。私たちも今の状 態はどうだろう。その不満、愚痴は主を離れていないだろうか。十 字架は苦い水を甘くする。マラの苦い水は信仰の試練だった。今、 苦い水があれば、信仰が試されている。 主からの苦い水であり、主がその水を甘くして下さる。十字架のも とへ行こう。ある人は、理不尽な目に会い、不満と怒りで悶々だっ た。しかし主のもとへ行った時、理不尽そのものである、十字架の 主を見せられた時に、その主のご自身を捨てられたへりくだりに、 涙が出て、自分は何なのかと、悔い改めと感謝に変えられた。まさ に苦みが甘みへと。 --------------- 主は、悲しみを知っておられ、病む者や苦しむ者を癒し、慰め、 最後は私たちの対のために十字架で死なれた。不平、不満の苦い 水が湧いてくるときこの主を見上げよう。主の下に行こう。