2025年09月09日(火)

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともに います」マタイ28:20



ある人が、教会へ行く前に、自分で聖書を読んでいたが、よくわか
らなかった。良い教えで、教訓だろうと思っていた。頭だけの理解
で、心に響いて来る事は無かった。だが教会に行き、聖書を学ぶ中
で、神の愛、主イエスの十字架の救いを知り、信仰告白に至った。
その時から自分が変わった。

祈って、御霊の助けを求めて、聖書を読むようになり、ただの良い
教え、教訓が、まことに生きた言葉に変わって行った。心に御言葉
が響いてきて、生まれて初めての経験だった。御言葉から、喜びや
生きる力が与えられ、まことに生きた言葉となって驚いた。頭だけ
の以前とは全く違った。

「聖書のこの事、信仰のあの事がわかりません。教えて下さい」と、
ありのまま祈ると、礼拝説教で答えが来たり、学び会が、ピッタリ
の学びだったり、教会での交わりで、他の人の証しを聞いて「あ!」
とわかったり、今までに経験した事のないことで、不思議な驚きと
感動だった。

まさに主が、心の内をご存じである事を実感した。私たちも同様だ。
悩みの時に祈り求めて、アンテナを立てていると、御言葉から指針
が来たり、ふっとこれはこうすれば、あれはああすればと、思いが
浮かんで来る。又、日常生活で平安が失せると、何かが違い、軌道
修正が必要なことを学んだ。

心に思い煩いや不安があったり、妬みや憎しみがあったりする。信
仰人生、必ず試練は来る。しかしどんな苦しい中でも、必ずふさわ
しい導きが与えられ、いつも共にいて下さる主を経験して行く。
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様々な場面でいつも主が共におられるのを感じる。苦しみの中でも
必ず感謝することがあり、落ち込んでいる時には慰めを受ける。主
が心の内をご存じだ。主に祈り、喜びと力を受けよう。