2004年08月07日(土)

「私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい」(Tコリント10:14)

クリスチャンなら金の像や地蔵や形ある偶像は決して拝まないだろう。それは偶像礼拝だとはっきりわかるから。しかし、形の違う偶像はわかりにくい。仕事や趣味も偶像になる。地位、名誉も偶像だ。富も偶像になる。愛する人も偶像になる。神よりも愛情を注ぐ対象が偶像ということだ。神の栄光を求める、その心の底に神の栄光にかこつけて、実は自分の栄光を求めている自我がある。神第一と思っている心の裏側に自分の思いが第一であり、自らの思いを通して行く自分がいる。自分が神になっている。これは紛れもなく偶像だ。四六時中私達の注意を引き、心を奪うものも偶像だ。あなたの心に偶像は無いか。神にとって代わるものはすべて偶像だ。
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目に見えない、形のない偶像がわかりにくい。神より心を奪われているものは偶像だ。一番大きな偶像は自分自身かも知れない。神のためと言いながら、実は自分の栄誉を求め、自分の思いを通している。御霊に心の闇を照らされて初めてわかる。